蔵持の大杉
蔵持山は平安時代なかばの天慶年間に修験の山として開かれて以降、その精神に則り自然の護持に勤めたため、里山には希少な植生や杉・檜に代表される三伏の献植による巨樹・巨木が残っています。
まさに、「自然と人為が融合した野外植物園」といえ、山中には三伏の行場とともに守られた里山の植生が豊かに残されます。
この大杉は蔵持山神社境内にそびえる綾杉の巨木で、山中はもちろん、近隣においてもまれに見る古木であるために同社の神木ともされています。
蔵持山は平安時代来修験(しゅげん)の山として栄え、最盛期には96の宿坊が置かれ、多くの山伏(やまぶし)が修行に励みました。山伏たちは無事に修行を終えると山の神への感謝の印に杉や檜を植えました。穂挿(ほざし=切り取った杉の穂を直接地面に挿す)によって植えたというそれらの杉檜は禁伐とされたため、近年まで数百年級の古木となって山中を覆い森厳な雰囲気を醸していましたが、平成3年の台風によりその多くが倒れ、現在は数えるほどしか残されていません。
杉は「直(す)ぐ木」が語源とされるほど垂直に伸びる木ですが、それゆえに自然を信仰の対象とした修験道では重要な意味を持つとされ、単に用材としての意味ばかりでなく天空にまっすぐ伸びる特性から、自己の守護神や神霊を招き寄せる依代(よりしろ)としての意味を持たせていたという考えも示されています。
いずれにせよ、この大杉は自然の特性を知り、それを神仏の顕現と考え護持・共存を図った修験道の考えを象徴する遺産であるということができます。




蔵持山の歴史の語り部・・・『幹の中央に走る黒い筋』
大杉は霊山として栄えた蔵持山の歴史の語り部でもあります。
この杉の幹の中央に走る黒い筋は、明治33(1900)年に起きた蔵持大火の被災跡です。
このときの大火は明治維新後も山中に残った宿坊集落のほとんどを焼き尽くし、社殿も焼失してしまうほどの大火だったのですが、この木は辛うじて焼け残りはしたものの、表面が黒こげになってしまったそうです。それでも樹勢は盛んだったおかげで、やがてこげを巻き込みながら成長をつづけ、いまではこの部分を残すのみにまで回復しています。
山伏パワーが込められていたおかげでしょうか?
基本情報
名称 | 蔵持の大杉(くらもちのおおすぎ) |
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指定種 | 記念物(天然記念物) |
数量 | 1本 |
所有者 | 蔵持山神社 |
成立年代 | 推定樹齢 約800年 |
法量 | 樹高41m、幹周り6.4m |
特徴 | 山伏が修行の成就を感謝して植樹したものです。 |
所在地 | 福岡県京都郡みやこ町犀川上高屋177番地 蔵持神社地内 |
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営業日 | |
定休日 | |
公式サイト |
交通アクセス
車 | 東九州自動車道「みやこ豊津IC」より、車で約30分 |
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電車 | 平成筑豊鉄道「犀川駅」下車、徒歩約40分(登山口まで) |
※登山口より徒歩で約1時間
お問い合わせ
部署名:みやこ町役場 歴史民俗博物館
電話番号:0930-33-4666