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鶴田 知也(つるた ともや) 1902年~1988年

 

鶴田 知也

 

明治35(1902)年2月19日、福岡県小倉市大坂町(現在の小倉北区)に高橋乕太郎、アサの三男として生まれる。
明治42(1909)年、鶴田和彦・ミヨの養子となり鶴田姓になった。
養父の転勤のたび小倉市、直方市、田川市、大分市の各小学校を転校。夏・冬休みには豊津に帰省する。

大正4(1915)年3月、豊津尋常小学校を卒業、同年4月、豊津中学校(現育徳館高等学校)に入学する。
北海道山越郡八雲村(現八雲町)出身の真野万穣の紹介で八雲を訪ね、徳川牧場技術指導員らと親交を結び、様々な仕事に就きながら同地に半年間滞在。北海道農業、特に酪農業に興味を抱き、ロシア文学を読み漁る。
昭和2(1927)年、葉山嘉樹に誘われ上京。「文芸戦線」に加わり、プロレタリア作家としてデビュー、アイヌの悲劇を叙事詩風に構成した「コシャマイン記」により、各選考委員の絶賛を得て、昭和11(1936)年、第3回芥川賞を受賞した(主な著書は下記のとおり)。戦後は、社会主義文学クラブや日本農民文学会に参加。戦時下の疎開先であった秋田を舞台とする未来志向の陽性な農民文学を描いた。

 

昭和30(1955)年には、児童文学「ハッタラはわが故郷」で小学館第4回児童文化賞を受賞。しかし、次第に文学の世界から遠ざかり、農業共同化の推進や農村文化運動など、晩年は、もっぱら農業問題の専門家、指導者として過ごした。
実弟の福田新生は日展審査員の画家、高橋信夫は音楽家とそれぞれ兄弟は芸術的才能に恵まれていた。
鶴田知也文学碑は、平成4(1992)年9月、八景山自然公園中腹の文学碑公園に葉山嘉樹文学碑と対座する位置に建立された。

鶴田歌碑
上:鶴田知也文学碑(みやこ町国作)
 

主な著書

 

『コシャマイン記』 『あたらしき門』 『北方の道』 『若き日』 『北辺記』 『わが悪霊』 『北京の日』 『永遠の人』  『農民学校の断片』 『椎の木の家』 『わが故郷豊津』  『故郷豊津の風土』 『わがふるさとは土蜘蛛と国分寺と』『僕達と志摩氏』  『等閑記』など22作がある。
★赤色の文字の著書・・・豊津に取材した小説。豊津関連の郷土作品。

 

豊津関連郷土作品の代表作

 

『椎の木の家』・・・・豊津の実家を描きこんだ作品。
『わが悪霊』・・・・・まばゆい芸術的才能をもった先輩が豊津に帰郷し、旧制中学生たちを魅了する物語。
『僕達と志摩氏』・・・豊津中学校の同窓生である僕達3人と豊津に帰郷して隠遁生活を送るクリスチャンの志摩氏との交流を描いた作品。

 

基本情報

 

文学碑所在地 みやこ町国作1388-1(八景山自然公園中腹 文学碑公園)
営業日  
定休日  
公式サイト みやこ町歴史民俗博物館デジタルミュージアム
「みやこ町の先人に会う」

 

 

交通アクセス

 

 

東九州自動車道「みやこ豊津IC」より、車で約5分
テキスト JR行橋駅から太陽交通バス(豊津方面行き)で約15分、「長養団地入口バス停」下車、徒歩約5分
電車 平成筑豊鉄道「新豊津駅」下車、徒歩約20分