鶴田 知也(つるた ともや) 1902年~1988年

明治35(1902)年2月19日、福岡県小倉市大坂町(現在の小倉北区)に高橋乕太郎、アサの三男として生まれる。 |
昭和30(1955)年には、児童文学「ハッタラはわが故郷」で小学館第4回児童文化賞を受賞。しかし、次第に文学の世界から遠ざかり、農業共同化の推進や農村文化運動など、晩年は、もっぱら農業問題の専門家、指導者として過ごした。
実弟の福田新生は日展審査員の画家、高橋信夫は音楽家とそれぞれ兄弟は芸術的才能に恵まれていた。
鶴田知也文学碑は、平成4(1992)年9月、八景山自然公園中腹の文学碑公園に葉山嘉樹文学碑と対座する位置に建立された。
上:鶴田知也文学碑(みやこ町国作)
主な著書
『コシャマイン記』 『あたらしき門』 『北方の道』 『若き日』 『北辺記』 『わが悪霊』 『北京の日』 『永遠の人』 『農民学校の断片』 『椎の木の家』 『わが故郷豊津』 『故郷豊津の風土』 『わがふるさとは土蜘蛛と国分寺と』『僕達と志摩氏』 『等閑記』など22作がある。
★赤色の文字の著書・・・豊津に取材した小説。豊津関連の郷土作品。
豊津関連郷土作品の代表作
『椎の木の家』・・・・豊津の実家を描きこんだ作品。
『わが悪霊』・・・・・まばゆい芸術的才能をもった先輩が豊津に帰郷し、旧制中学生たちを魅了する物語。
『僕達と志摩氏』・・・豊津中学校の同窓生である僕達3人と豊津に帰郷して隠遁生活を送るクリスチャンの志摩氏との交流を描いた作品。
基本情報
文学碑所在地 | みやこ町国作1388-1(八景山自然公園中腹 文学碑公園) |
---|---|
営業日 | |
定休日 | |
公式サイト | みやこ町歴史民俗博物館デジタルミュージアム 「みやこ町の先人に会う」 |
交通アクセス
車 | 東九州自動車道「みやこ豊津IC」より、車で約5分 |
---|---|
テキスト | JR行橋駅から太陽交通バス(豊津方面行き)で約15分、「長養団地入口バス停」下車、徒歩約5分 |
電車 | 平成筑豊鉄道「新豊津駅」下車、徒歩約20分 |