堺 利彦(さかい としひこ) 1870年~1933年
明治・大正・昭和の三代にわたり社会主義運動の開拓に生涯を捧げた堺 利彦は、日本における社会主義運動の父である。明治36(1903)年11月、幸徳秋水と二人で週刊「平民新聞」を創刊、明治期の初期社会主義時代から昭和のはじめまで一貫して社会主義陣営の中心に位置した。彼の思想の根底は豊津中学校で培われた儒学思想であったが、幸徳秋水等と交わり社会主義の道を求め、一生いばらの道を歩き続けた。
『母と共に花しほらしの薬草の 千ぶり摘みし故郷の野よ』
は、獄中の作と伝えられ、なつかしの故郷と母の思い出をうたったものであった。
明治3(1870)年11月、小笠原藩士の三男として仲津郡大坂村(現みやこ町犀川大坂)で生まれ、間もなく豊津へ移住。裁錦小学校(現豊津小学校)、福岡県立豊津中学校(現育徳館高等学校)を首席で卒業し、第一高等学校(現東京大学教養学部)に入学したが、学費未納で除籍された。福岡日日新聞(現西日本新聞)記者を経て万朝報社に入社。万朝報社記者時代に堺枯川の文名を高めた。
尾崎紅葉、末松謙澄に激賞された出世作の「望郷台」や、「我が幼時」「豊津中学校の新学風」「故山の情話」「白頭の恋」「故郷の青葉」「堺利彦伝」「故郷の無産大衆に訴える」「土蜘蛛旅行」「帰郷雑草」「故郷のあこがれ」等には、熾烈な望郷の思いが綴られている。
昭和35(1960)年には、堺利彦生誕90周年を記念して「堺利彦顕彰記念碑」が、利彦生家と母校豊津中学校との中間にあたる豊津下本町に建立された。除幕式には鈴木茂三郎・向坂逸郎などの著名人、報道関係者など3,000人が参加し、豊津空前の賑わいを見せた。
また、昭和48(1973)年11月には、記念碑の横に「堺利彦顕彰記念館」が建設され、一生いばらの道を歩き続け、不遇のうちに信念を貫き通した利彦の遺品、遺作が数多く収納された。
平成24年、記念館は老朽化により取り壊されたが、遺品・遺作は、みやこ町歴史民俗博物館に移された。
記念碑は平成30年3月、八景山自然公園内へ移築され、既設の葉山嘉樹・鶴田知也文学碑と共に、ふるさとが生んだわが国社会運動史に足跡を残す三人を顕彰する場として親しまれている。
堺 利彦記念碑(みやこ町豊津)
主な著書
『望郷台』 『故郷の青葉』『我が幼時』 『堺利彦伝』 『豊津中学校の新学風』『故郷の無産大衆に訴える』『故山の情話』 『土蜘蛛旅行』『故郷のあこがれ』『白頭の恋』『帰郷雑草』 など
基本情報
文学碑所在地 | みやこ町国作1388-1(八景山自然公園中腹 文学碑公園) |
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営業日 | |
定休日 | |
公式サイト | みやこ町歴史民俗博物館デジタルミュージアム「みやこ町の先人に会う」 |
交通アクセス
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車 | 東九州自動車道「みやこ豊津IC」より、車で約5分 |
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バス | JR行橋駅から太陽交通バス(豊津方面行き)で約15分、「長養団地入口バス停」下車、徒歩約5分 |
電車 | 平成筑豊鉄道「新豊津駅」下車、徒歩約20分 |
お問い合わせ
部署名:みやこ町役場 歴史民俗博物館
電話番号:0930-33-4666