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小宮 豊隆(こみや とよたか) 1884年~1966年

 

小宮 豊隆

 

明治17(1884)年、仲津郡久富村(現みやこ町犀川久富)に生まれる。豊津高等小学校を卒業後、福岡県立豊津中学校(現育徳館高等学校)、第一高等学校(現東京大学)へと進み、明治38(1905)年、東京帝国大学独文科に入学。大学在学中、従兄の紹介で知遇を得た夏目漱石の門下生となり、数多くの文人らと交わって、その文学的センスを磨いた。
東京帝国大学卒業後は、慶應義塾大学、海軍大学校、法政大学、東北帝国大学などでドイツ文学の教鞭をとり、第二次大戦後は、東京音楽大学(現東京芸術大学)校長、国語審議会委員、学習院女子短期大学学長、都民劇場会長、東京教育委員などを歴任している。豊隆の学問的な興味は、専門であるドイツ文学にとどまらず、日本の伝統文化の探求にまで及び、とりわけ歌舞伎や俳句の研究において数多くの業績を残している。

 

また、師である夏目漱石の研究者としても知られ、漱石の死後に豊隆が編集した「漱石全集」は、日本の個人文学全集としては最高のものとして現在でも評価が高い。昭和29(1954)年には著書「夏目漱石」で芸術院賞を受賞している。
昭和41(1966)年5月3日、東京都杉並区の自宅で没。享年82歳。遺骨は東京多摩霊園とみやこ町峯高寺に分骨埋葬されている。

 

平成13年10月に開館した豊津町立図書館(現みやこ町中央図書館)に「小宮豊隆文庫」を開設、小宮氏遺族から寄贈された豊隆蔵書約4,000冊が展示されている。
昭和60(1985)年5月4日、豊津高等学校同窓会により、小宮豊隆文学碑が同校校庭(現育徳館)に建立された。小宮豊隆は夏目漱石の作品「三四郎」のモデルとも言われ、校庭内の森は「三四郎の森」と称されている。

 

夏目漱石と小宮豊隆
後列向かって右から3人目夏目漱石、前列で座る男性が小宮豊隆

 

小宮豊隆 記念碑
小宮豊隆 記念碑(みやこ町豊津)

 

 

小宮豊隆 寄贈資料の紹介

平成25年5月、みやこ町歴史民俗博物館に、夏目漱石や寺田寅彦の手紙など、総点数477点の「小宮豊隆資料」がご遺族より寄贈された。

 

小宮豊隆寄贈資料

夏目漱石
1.お札(旧千円札)の原本となった写真
「吾輩は猫である」のモデルとなった飼の死亡通知
2.小宮豊隆宛て夏目漱石書簡「吾輩は猫である」のモデルとなった猫の死亡を知らせる手紙
夏目漱石直筆「菊図」
3.夏目漱石直筆「菊図」
夏目漱石直筆の掛け軸
4.夏目漱石直筆掛け軸
寺坂寅彦から小宮豊隆へあてた手紙
5.寺田寅彦から小宮豊隆へあてた手紙「大正12年10月関東大震災の被災状況を報告」
寺坂寅彦から小宮豊隆へあてた手紙
5.寺田寅彦から小宮豊隆へあてた手紙「大正12年10月関東大震災の被災状況を報告」

 

 

基本情報

詳細

文学碑所在地 みやこ町豊津973 (育徳館高校内)
営業日  
定休日  

 

 

交通アクセス

 

交通アクセス

東九州自動車道「みやこ豊津IC」より、車で約10分
バス JR行橋駅から太陽交通バス(豊津方面行き)で約25分、「豊津支所バス停」下車、徒歩約2分
電車 平成筑豊鉄道「新豊津駅」下車、徒歩約25分

 

お問い合わせ

部署名:みやこ町役場 歴史民俗博物館

電話番号:0930-33-4666