吉田 増蔵(よしだ ますぞう) 1866年~1941年
吉田増蔵(学軒)は、みやこ町出身の漢学者で元号「昭和」を創案した人物。
慶応2年(1866)、豊前国京都郡上田村(現みやこ町勝山上田)に生まれる。本名は吉田増蔵、号を学軒と称した。村上仏山の漢学塾・水哉園で学んだ後に上京、英語を学びアメリカに渡る。 帰国後は、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)、山口県立豊浦中学校(現豊浦高等学校)教職を経て、大正9年(1920)宮内省図書寮の編修官となり、上司であった文豪・森鴎外と出会い親交を深める。
森 鴎外は、学軒に非常に厚い信頼を寄せていた。鴎外の遺言書には、所蔵する和漢の蔵書を「吉田増蔵君に贈るべし。吉田君の外善く之を用ふるものなし」と綴られていた。鴎外が没した後、特に元号研究は学軒に引き継がれた。大正天皇の崩御にともない、宮内大臣から新しい元号を創案するよう命じられた学軒は「神化」「元化」「昭和」など複数の元号案を提出、他の学者が考えた案とともに政府内部で選定作業が進められ、学軒の考えた「昭和」が新元号に決定される。
「昭和」は「書経」の一文「百姓昭明、共和萬邦」から「昭」「和」の2字をとったもので、「国民の平穏な暮らしと世界各国の共存共栄を願う」といった意味が込められている。しかし、その願いとは裏腹に、時代は世界戦争へと向かい、学軒も宮内省の官僚としてアメリカ・イギリスに対する宣戦詔書の起草にたずさわることになる。そして、この時すでに重い胃潰瘍を患っていた学軒は、昭和16年(1941)12月19日、東京上落合の自宅で終戦を見届けることなく逝去。享年76歳。
森 鴎外
平成24年4月29日、みやこ町勝山の勝山公民館の敷地内に吉田学軒の顕彰碑が建立された。
みやこ町勝山上田には学軒の墓がある。
学軒の墓
基本情報
顕彰碑所在地 | みやこ町勝山上田941番地1 |
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営業日 | |
定休日 | |
公式サイト | みやこ町歴史民俗博物館デジタルミュージアム「みやこ町の先人に会う」 |
交通アクセス
交通アクセス
車 | 東九州自動車道「行橋IC」より、車で約8分 |
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バス | JR行橋駅から太陽交通バス(田川・香春町方面行き)で約30分、 「新勝山バス停」下車、徒歩約10分 |
お問い合わせ
部署名:みやこ町役場 歴史民俗博物館
電話番号:0930-33-4666