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中村 春堂(なかむら しゅんどう) 1868年~1960年

 

中村 春堂

 

明治元年(1868)7月3日、仲津郡祓郷村大字田中(現みやこ町田中)に生まれる。
名は尚友、字は玄郷、通称を楳太郎、雅号を春堂または耕心斉と称した。

旧制豊津中学校を経て、大分県中津町の河野私塾に学んだ後、郷里で初等教育に従事していたが、明治29(1896)年に上京。法制局長官・末松謙澄(現行橋市出身)の推薦により内閣法典調査会に奉職した。
勤務のかたわら専修学校(現専修大学)に入学して、法律学・経済学を学んだ。

そういった中、春堂の能筆(字が上手いこと)は宮中顧問官で法典調査部長の三浦安氏の認めるところとなり、専ら書道の研究に従うことを勧められ、書道をもって世に立つことを決意した。
明治31(1898)年、小野鵞堂に入門、翌年には難関の文部省習字科検定試験に合格し、書道家としての道を歩み始めた。
明治34(1901)年、日本女子大学校(現日本女子大学)の書道教授となったのを皮切りに、数多くの高等学校・大学で教鞭をとるとともに、私塾寒香書院を設立し、門人の育成をはかった。30年間にわたる門人は三千余名、その間揮毫された出版物は三十余種に及んだ。
大正13(1924)年、日本芸術協会審査員、昭和4(1929)年、泰東書道院総務審査員、同21年日本書道美術院顧問審査員、同4年 毎日展審査員、同26年日本書道連盟顧問、同27年日展審査員などを歴任、明治・大正・昭和の三代にわたり書道界、特に書道教育に尽くした功績は大きい。
春堂は仮名文字を得意としたが、調和体(仮名・漢字交じり文)の素養もあり、その流麗な書風は、天性の才能のみならず、長年にわたる不断の努力によって得られたものである。
昭和35(1960)年3月14日に没する。享年93歳。

 

春堂の作品

 

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