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岩垂 邦彦(いわだれ くにひこ) 1857年~1941年

 

実業家 岩垂邦彦

 

岩垂邦彦は、電気・電信技術者、また企業経営者。日本で初となる外資との合併企業を設立した人物。
安政4年(1857)、小倉小笠原藩士喜田村修蔵の次男として生まれる。明治2年、第二次長州征伐による小倉小笠原藩庁の豊津移転に伴い、豊津に移った。
豊津では、藩校育徳館(現育徳館高等学校)に学ぶ。その後、上京して工部大学校(現東京大学工学部)を経て、工部省の技術師として従事。明治19年(1886)に渡米、発明王と云われるトーマス・エジソンの経営するエジソン・マシンワークス社(現ゼネラル・エレクトリック)に入社し、エジソンのもとで電気・電信技術を習得した。
明治21年(1888)に帰国、大阪電燈株式会社(現関西電力)設立にあたり、初代技師長として勤めた。明治31年(1898)には、日本初の外国資本との合併会社である日本電気株式会社(現NEC)を設立、日本の電気業界の発展に大きく貢献した。
晩年には「豊前育英会」への資金提供など故郷の教育振興に尽力。昭和16年(1941)、逝去。

 

アメリカ滞在中の邦彦
1.アメリカ滞在中の邦彦
 
NEC時代の邦彦
2.NEC時代の邦彦
父・喜田村脩蔵
3.父・喜田村脩蔵の墓(みやこ町豊津)
岩垂邦彦 記念碑
4.岩垂邦彦記念碑

邦彦が寄贈した豊津中学校(現育徳館高校)のプール
5.邦彦寄贈、豊津中学校(現育徳館高校)のプール

 

邦彦の父・喜田村脩蔵は、小倉小笠原藩の藩校「思永館」の教師や支藩の家老等を歴任した優秀な人材だったが、明治元年(1868年)、東京で暗殺されたと言われている。当時、11歳であった邦彦は、父の敵討ちのために兄と共に上京。
しかし、明治維新という社会の転換期に新しい国づくりを行う人々の姿を目のあたりにし、敵討ちを断念したという。

アメリカ滞在中には、エジソンの経営するエジソン・マシンワークス社に入社した邦彦は、テスティングルームと呼ばれるエジソンの施設で勤務した。この施設では、直接エジソンから指示を受けることもあった。
邦彦は、エジソンと対話した数少ない日本人の一人。
日本初の外国資本との合併会社である日本電気株式会社(現NEC)を設立後、取締役専務へ就任した邦彦は、27年もの間、トップとして同社を牽引した。邦彦の「お客様により良い製品をより良いサービスを提供していこう」という精神は、会社の基本方針として、100年以上たった現在も受け継がれている。
晩年の邦彦は、故郷に対して熱い思いを持っていた。故郷豊津の母校(現育徳館)への寄付や、工学や理学の研究者たちを支援する活動を行った。
平成21年11月、みやこ町豊津にある母校、育徳館敷地内に、岩垂邦彦の記念碑が建立された。

 

基本情報

文学碑所在地 みやこ町豊津973(育徳館高校内)
営業日  
定休日  
公式サイト みやこ町歴史民俗博物館デジタルミュージアム「みやこ町の先人に会う」

 

 

交通アクセス

 

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交通アクセス
東九州自動車道「みやこ豊津IC」より、車で約10分
バス JR行橋駅から太陽交通バス(豊津方面行き)で約25分、「豊津支所バス停」下車、徒歩約2分
電車 平成筑豊鉄道「新豊津駅」下車、徒歩約25分

 

お問い合わせ

部署名:みやこ町役場 歴史民俗博物館

電話番号:0930-33-4666