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国分寺の建立

 

国分寺の建立

 

 奈良時代の初期、時の聖武天皇は仏教に対して深い知識と厚い信仰を持っていました。当時、735年頃から国内では疫病(天然痘)が流行し、米などの作物の不作が続いていました。また、740年には時の中央政府に不満をもつ藤原広嗣が大宰府で反乱を起こしました。
 聖武天皇はこうした疫病・不作・反乱などの災害や社会不安を、金光明景勝王経と鎮護国家思想で取り除こうとしました。こうして、741年に「国分寺建立の詔」がだされ、国ごとに国分僧寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)を建立し、僧寺には七重塔をつくり20人の僧を置き、尼寺には10人の尼を置くことが定められました。
 国分寺の建立は、各国の国司の指揮のもとに国内の郡司たちが中心となって進められました。しかし、主要建物である南門・中門・金堂・講堂・塔・僧房・食堂等の七堂伽藍の建築には歳月を要し、全国的に整備されたのは宝亀年間(770~780年)の初め頃と推定されます。

豊前国分寺跡伽藍配置図
豊前国分寺跡伽藍配置図

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